コメディは、コモンズである。

須田 泰成

1969年にイギリスの公共放送BBCで始まった30分のTV番組シリーズ「モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス」。 1974年まで制作&放送された45本は、その後のコメディやアート、広告、映画など、あらゆる表現の世界に“革命”といっても良いほどのインパクトを与え、21世紀に入ってからは、パイソン映画の「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル」を下敷きにしたブロードウェイ発のミュージカル「スパマロット」が大ヒットしています。

そんな「モンティ・パイソン」とは何なのか?
または、モンティ・パイソンを生んだ英国コメディとは何なのか?

その「本質」をガツンと言い表す言葉がずっと気になって仕方ありませんでした。

ぼくがモンティ・パイソンの面白さにはまったのは、いまから二十年近く前、コメディの台本を書き始めて、ささやかな報酬を得はじめた頃のことでした。若い脳味噌に彼らの笑いは衝撃の連続でした。「バカ歩き(silly walk)」を見てのたうち回り、「議論の部屋」の屁理屈に椅子から落ちて、「チーズ・ショップ」の知的な客が、チーズ専門店なのにチーズが一つもないのにキレて楽団を怒鳴りつけるシーンにのけぞって、それは大変なものに出会ってしまったと、興奮したものでした。 笑うと同時に興味が湧いて仕方がなかったのは、モンティ・パイソンの持つ笑いの構造や笑いの技術でした。繰り返して見るうちに、これは表面的なオモシロさだけではなく、 かなり深いものだと感じるようになってきました。 そして、モンティ・パイソンが、単なるお笑いを遥かに超える影響を人類社会に与えてきたこともわかってきました。

里山の恵みとコメディの恵み

あのジョン・レノンは「生まれ変わったら、ビートルズではなく、モンティ・パイソンのメンバーになりたい」とまで言ったそうです。

あのフォークランド紛争で、アルゼンチン軍が放ったフランス製ミサイルに撃沈された駆逐艦シェフィールドの乗組員たちは、救助を待つ甲板の上で、ゆっくり沈み往く艦に名残りを惜しみながら、パイソン映画『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディングの曲「Always look on the bright side of life(=いつも人生の明るい方を見て生きていこうよ)」を声を揃えて歌ったといいます。

その他、モンティ・パイソンに刺激を受けて、コメディや音楽、デザイン、映画、演劇、アニメーション、広告、ファッションなどの分野で活躍する人たちが、世界中にもいることもわかってきました。 また、モンティ・パイソンを笑いの合法ドラッグとして生活に取り入れて、矛盾に満ちた現代社会の日常と折り合いをつけながら生きている人もたくさんいることを。

それほど多くの人々に、なかには戦場にいる人々にさえ影響を与えてしまうモンティ・パイソンには、特殊な「本質」があるという思いは確信に近くなってきていました。 そして、いろいろ考えたり書いたりを続け、同時に年齢を重ねて中年になり、いろんな人生経験も詰むうちに、ある時ふと、脳味噌に降りて来た「言葉」がありました。

それは、「モンティ・パイソンは、笑いのコモンズである」というものでした。
もちろん、「英国コメディも、笑いのコモンズである」というのも同じことです。

コモンズとは、特権階級に属さない一般ピープルの共有財産のことです。 英国には、社会のすべてを金=資本の論理によって覆い尽くす資本主義が発展する近代以前の時代には、国家や商人や教会によって支配されずに、その土地に暮らす一般ピープルが自らの責任で管理・使用して恵みを享受する森や川などの自然=共有地=コモンズが存在しました。 これは、英国に限らず、資本主義が浸透する以前の世界に共通のものなのですが、 日本でいえば、昔の里山ということになります。

木の実や果物、芋やタケノコ、キノコ、イノシイや鹿などの食べ物だけではなく、衣服や道具や住居を作るための材料、暖をとり料理するために必要な燃料、病気を治す薬草、鮮やかな色をつけるための染料、目や心を和ませる花、さらには、戦いが迫ったときの隠れ家など、数々の恵みを、コモンズは資本の論理を介在させずに、人々に与えていました。 が、資本主義の進展とともに、共有地=コモンズの多くは、国や資本に支配されるものとなり、消滅してしまいます。これは、浦沢直樹の漫画「20世紀少年」に描かれるように、いまから30〜40年ほど前のニッポンで、それまでは、子供が自由に遊んでいた原っぱが、宅地化を中心とする開発という資本主義の波の到来によって消滅してしまい、代わりに現れたのが、お金がないと参加できない塾やゲームセンターだったというような流れと同じことでもあります。

英国では、土地としてのコモンズが消滅に向かうのと反対に、極めてコモンズ的な性質を持つ文化のジャンルが勃興してきました。それが、コメディだったのです。 古代のギリシア喜劇や中国の笑い話などの古くから、コメディには、権力を持たない一般人に恵みをもたらす性質がありました。 17世紀にジョナサン・スウィフトによる稀代の諷刺小説「ガリバー旅行記」を生んだ英国では、産業革命が完成され、急激に都市化が進んだ19世紀のビクトリア時代に、後のコメディクラブの前身であるミュージック・ホールや「パンチ」などの諷刺雑誌が続々と世に現れました。クリーズ、チャップマン、アイドルたち、モンティ・パイソンのメンバー三人が在籍したケンブリッジ大学のコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」の創立も、この時期です。その頃に勃興した数々のコメディが、20世紀にかけて熟成され、笑いのコモンズへと発展していくのです。

ピーター・クックの功績

英国のコメディが、コモンズとしての性質をドラマチックに公に示したのは、ケンブリッジ・フットライツでのクリーズたちの先輩にあたるピーター・クックが、ロンドン中心部のソーホー地区のコメディクラブ「エスタブリッシュメント」で、当時の首相だったハロルド・マクミランに成りきって、アメリカに盲目的に追従して、国内の年金生活者を切り捨てる、ダメ政治家の素顔を誇張する諷刺ネタを演じた瞬間でした。

ピーター・クックの笑いは、政治・財界・皇室・教会など特権階級に属す人物が、一般ピープルに不利益をもたらすような素振りを見せると、それらをすかさずピリっと辛い視点で笑い、人々を楽しませると同時に権力の矛盾や横暴を白日の下に曝す特徴を持っていました。

まさに恵みの笑い。これが、コモンズとしてのコメディです。

ちょうど時代は、世界中の若者が古い価値観に反逆した1960年代。ロンドンは、特にスウィンギング・ロンドン呼ばれ、ファッション、アート、音楽など、あらゆるクリエーティブな動きの中心になっていました。その60年代の空気とクックの笑いは、空前の化学反応を起こします。ピーター・クックが小さなステージの上で範を示した諷刺の笑いは、急速にファンを増やし、追随する若手コメディアンを増やし、共感する政治家やセレブ、TV・ラジオなどのプロデューサー、音楽や広告などの業界人に共感者を増やし、やがて「サター(諷刺)・ムーブメント」という、巨大なうねりとなって、ラジオ・TVなどのマスメディアを主戦場とするメジャーな文化のジャンルになっていったのです。 それは、土地としてのコモンズが、姿を変えて、電波メディアというヴァーチャル空間に現れようでした。。

ピーター・クックのコメディは、TVに広告を出稿する財界人やTVに許認可を与える政治家たちの味方ではなく、一般ピープルに恵みの笑いを与える「現代のコモンズ」となったのです。 その最高の例の一つは、1979年にジョン・クリーズがプロデュースした国連人権保護団体アムネスティ・インターナショナルの支援イベント「シークレット・ポリスマンズ・ボール」の舞台でクックが演じたソロのスケッチでしょう。

それは、その頃ちょうどメディアを騒がせていた政治家の不祥事をネタに自作自演した風刺スケッチでした。その事件というのは、自由党党首だったジェレミー・ソープが、同性愛者の愛人がソープとの愛人関係をバラしてしまうのを怖れて、殺し屋を雇い、抹殺しようとしたという前代未聞の事件でした。殺し屋は、仕事に失敗し、愛人は命を失わずに済んだのですが、この事件の大きな特徴は、上流階級の人間の犯罪というところにありました。ソープの妻は、ウィーン出身の高名な作曲家エルヴィン・シュタインの娘でありエリザベス女王の親戚ヘレウッド伯爵の前妻だった女性。ソープ自身もイートン校を卒業した生粋の上流階級の人間。いわば、英国社会のエリート中のエリートの犯罪だったのです。が、裁判の結果は無罪。その理由は、上流階級をひいきする判事が、陪審員に「無罪に投票するように!」と、無罪誘導したことにあったのでした。 その判決があったのは、ライブ当日の昼間でした。「上流階級だから無罪になるべき!」という判事の本音に呆れ怒ったクックは、すぐに風刺台本を書き上げ、数時間後に判事そっくりの姿で観客の前に現れたのです。そして、尊大な様子で陪審員に「言うことを聞け!」と本物さならがに語りかける姿をギャグのスパイスを効かせながら演じ、会場を感動と笑いで包んだのでした。

このようなクックのコメディが社会に与えるいちばんの恵みは、民主主義の根幹である「誰もがおかしいことに対して“おかしい”と自由に発言できる空気」です。それが社会に充満していることは、非常に重要です。 モンティ・パイソンは、稀代のカリスマ、ピーター・クックがきっかけとなって盛り上がりを見せた、60年代のサターコメディ・ムーブメントの最後の年に、1969年に生まれたのでした。 そんな時代の空気を吸って生まれた「モンティ・パイソン」も「コモンズ」でした。

そして、モンティ・パイソン

「モンティ・パイソンズ・フライングサーカス」の第一シリーズのスケッチを日本語で読めるようにしたこの本には、コモンズとしての笑いの恵みが、ぎっしりと詰まっています。

恵みの第一は、なんといっても笑える、オモシロイということでしょう。

かつて村人が里山からおいしいものを持ち帰ったように、このオモシロさは、笑った人に目に見えない栄養を与え、元気にしてくれます。 そして、同じくらい大切なのが、彼らは、スケッチの中であらゆる権威を徹底的に茶化しているということです。女王陛下、貴族、政治家、財界人、芸術家、神様、牧師、知識人、偉人、紳士・淑女などの人物。絵画、彫刻、音楽、建築、詩・小説などの芸術作品。そして、時には、自分で考えることをしない大衆という一般ピープルさえも。従来は無条件に敬うべきであった権威という権威をTVという影響力の強いマス・メディアにおいて徹底的に笑いのめしてしまったのです。

「モンティ・パイソン」の笑いは、これも目には見えませんが、あらゆる権威を笑うことで、社会の風通しを確実に良くする効果を持っています。 2004年、BBCが先述した「シークレット・ポリスマンズ・ボール」シリーズを振り返る特別番組を制作・放送しました。国連と連動して、独裁者や警察などに虐げられている人々の保護・救済活動を続けるアムネスティ・インターナショナルとイギリスのコメディアンやミュージシャンたちとのコラボレーション・イベントの歴史をまとめたものです。 その中で、「Mr.BEAN」で有名な、オックスフォードでは、マイケル・ペイリンとテリー・ジョーンズの後輩にあたる、英国を代表するコメディアンのローワン・アトキンソンが、興味深い発言をしています。

「ぼくらの世代が思考の自由を享受できる最後の世代なのではないか。
20年もすれば、思考を読む機械が発明されてしまうかも知れない。
絶対にあり得ないとは言い切れないだろ。
科学が進歩しても、いまのところ思考は自分のものだ。
しかし、未来はどうなるかわからないよね。そう考えると、恐ろしいよ。
アムネスティも役に立たないかもしれない。
自由のもろさと大切さを心に留めておいて欲しい。
そして時には進歩に異議を唱えることも必要なんだ。
人間の自由と尊厳を取り戻すためにね‥‥‥」

コモンズとしてのコメディの本質は、人間の自由と尊厳を守るところにあるのです。 それは、同時に「モンティ・パイソン」の本質でもあります。

私たちが、自由に、そして無邪気に権威をはじめとする様々な対象を笑って楽しめること。その恵みを日々の生活の中で享受できることと、コメディは密接に関わっています。そして、この日本のメディアでも、企業や政治、メディアの実力者などの権力に調子を合わせる節操のない笑いだけではなく、コモンズ的な性格を持つ笑いが増えて欲しいと切に願って止みません。